
世界に2台しか存在しないブガッティEB110スポーツコンペティツィオーネが25年ぶりにサーキットに帰還
フォルクスワーゲン傘下に入ってからのブガッティはサーキット専用モデルを発売していませんが(ボリードは未発売)
このEB110スポーツコンペティツィオーネはブガッティが公式に製造した貴重なレーシングカーです。
わずか6ヶ月で作られたEB110スポーツコンペティツィオーネは公道モデルより軽量でパワフルな車で3台製造予定でしたが、財政難で2台しか作られなかったレーシングカーでした。
本来であれば1996年のデイトナ24やル・マン24時間耐久レースに参戦する予定でしたが、
1996年6月9日にディジョン・プレノワ・サーキットでの2時間レースに参加したのが最後のレースとなってしまいました。

EB110GTとEB110スーパースポーツに加え最大700PSを発揮するファクトリーオフィシャルレースカーとしてEB110スポーツコンペティツィオーネは2台だけ作られました。
EB110LMは1994年ル・マン24時間耐久レースに参加し1995年3月にはEB110スーパースポーツが氷上最速記録を作りました。
当時の代表はレースで結果を残すことを目標にしており、1995年からはアメリカのIMSAシリーズやその他の耐久レースにも参加しました。



EB110スポーツコンペティツィオーネはわずか6ヶ月と信じられない短い期間で開発されました。
IMSAレースにも参加しBPRグローバルGTシリーズなどにも参加し成績は好調でしたが、当時スーパーカー市場が崩壊したと同時にスペアパーツが希少になってきました。
その結果需要は減少しブガッティは負債が発生し1995年9月15日に生産工場は封鎖され会社は倒産。
レースカーも一時的に没収されてしまいました。
しかし、モナコの実業家でEB110スポーツコンペティツィオーネのドライバーのGildo Pallanca-Pastorがなんとか破産資産からこの車を取り戻す事に成功し、1996年1月にはデイトナ24時間に出場。
本番のル・マン24時間耐久レースの前準備として6月8日にフランスのディジョンで行われたレースで他車と衝突しレース終了。
もうEB110のスペアパーツがどこにも無かったので修理も出来ず、ル・マン24時間耐久レースにも出場する事が出来ませんでした。
その後Gildo Pallanca-PastorはEB110スポーツコンペティツィオーネを売却しコレクターが復元し最後のレースから25年後に同じサーキットに戻ってきました。

EB110シリーズもチェントディエチが発表後価格は跳ね上がっており台数も少ないので現在は数億円で取引されています。
1995年の倒産後にはおそらく最も価値が低かったであろうEB110。
あの時買っておけば……と思っていた人はたくさん居たでしょう。
【ブガッティ、価格がどんどん上昇傾向へ】8年前に3000万円だったEB110が今2億3000万円www
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